小説家になろうをいつもご利用いただきありがとうございます。
この度、小説家になろう登録作者である
稲井田そう先生よりお便りをいただきましたのでこの場にて利用者の皆様にお伝えいたします。
以下、稲井田そう先生よりいただきました文面となります。
稲井田そうと申します。
原作担当コミックス①巻と⑧巻が出ます。
本屋さんでお見掛けの際は、よろしければ。
【KADOKAWA様】魔法学園×大ポジティブ主人公(最高を目指す)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322511000737/
【TOブックス様】サスペンスラブコメ×大ネガティブ主人公(最良を目指す)
https://x.com/ijou_sugiru/status/2013447641347064098?s=20
このコーナーを読むのは書籍化志望作家・書籍化済み作家、新しく編集職につき小説家になろうがどんなものなのか調べている方、色々だと想像しています。一番は小説家になろうの運営様ですね。この度はご確認賜り、誠にありがとうございます。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
これから私がする話は誰にでも該当しうる、誰向けでも無い話です。
昨今。ネットでは暗い話が多いように感じます。「業界がどれほど厳しいか」「どんな人間が向いてないか」「こうしないと生き残れない」などなど。
そういう状況の中、周りはどんどん進んでいる気がしてもどかしい。
焦ったり苦しくなって、自分の適性や才能に悩む。
不特定多数の誰かや、ランキングを見て気が重くなる。
何を書いていいか分かんなくなっちゃった。
今回は、そういう方向けの話です。
三回くらいこの場にお邪魔していますが毎回こうです。テクニック系は前後の作家さんのコツを読んでください。
大まかな流れとしては、
①才能が無い・向いてないという根拠は曖昧
②そもそも才能や適性の有無は執筆に関係が無い
③なぜ人は悩むのか
④暗い記事の意図
上記です。プレゼンみたいですね。実際プレゼンです。
さて、まず始めに。才能がない、向いていないと自己否定する方々が提示する根拠は下記でしょう。
中々書籍化できない。
ランキングに乗れない。
ブックマークがつかない。
感想が来ない。
だから才能がない。
それは本当に根拠になるのでしょうか。
なろうでブックマークがつかない小説を公募に出したら受かった。他のサイトでは全然ランキングに入れなかったけどなろうではトップになった。WEBの時は全然感想が来なかったけど、ある日、誰かの目に止まって書籍化できた。
こういう例が色々ある中で、◎◎だから才能がない、向いてないと自分を追い詰める必要はないと思います。
そんな奇跡はなかなか起きないという対論が出てきそうですが、その「軌跡が絶対に起きない」根拠は?
例えば、「自分には才能がない」と嘆く方がいたとします。
果たしてその方の判断は正しいと言えるのでしょうか。才能が無いということは見る目がないということです。見る目がない人間の判断は果たして正確でしょうか?
それも、自己判断の「才能が無い」です。
昨今「メタ認知」「客観的思考」「自認」と視点が重要視されています。客観的であればあるほど良いとされる時代です。才能有無の自己判断は、本当に正しいのでしょうか。
ちなみに「才能があると自分では思ってるけど才能が無かったらどうしよう」への反論は、才能を自称し夢を掴んだ経営者やスポーツマンなどなど色々前例があるので各自調べてください。そしてその中には、才能が無いのに才能があると自分を鼓舞し、才能があると周囲を騙しきった人間もいるかもしれません。
そもそも、才能が0、向いてなかろうが、書いていていいです。
こういう話をすると「正論」「理想論」と対論が浮かぶかもしれません。「市場はそういうものじゃない」「ビジネスはそんな簡単な話じゃない」あるいは、「趣味の範囲では」といったものでしょうか。
ビジネスの話をします。客観やロジック、合理性、資本主義の極論は「低コストで手間もかからない商品で収益を上げること」になります。いい商品か悪い商品だろうが売るのがビジネスです。ビジネスだけを語るなら、物語がいいか悪いかも関係ない、作家に才能があろうがなかろうが関係ない。
ビジネスの極論では、才能が0でも向いてなくても書いていいになります。そもそも関係が無いから。
それに適性0からの成り上がり、下克上ものって純粋にロマンありませんか?
ちょっと個人的価値観が混ざっていますが。泥臭い感じがいいというか。
めちゃめちゃスカしたベンチャー企業の社長みたいな人間が、実は滅茶苦茶挫折してて泥臭く働いてたって聞いたら好感度上がりません? 個人趣向が強くなり、大変恐縮ですが。
それでも、才能が無いと悩んでしまう方。その心の底にあるのはなんなんでしょうね。ストイックだから、それとも「自分には才能が無いから仕方ない」と前提を持っておけば、結果が出なかったときに、落ち込みのクッションになるから?
公募、自分には才能が無いから受からなくて仕方ないよねと心に保険をかける方がいます。
ただ、落ちるたびに「自分は駄目」と自分に「じぶんはだめ」ステッカーを貼って、動きづらくしていくのは勿体ない。好きなだけ傷ついていい。「なんで落とすんだよー」って。そしてまた書けばいい。応募要項さえ守れば落ちたものを他のコンテストに応募したっていいわけです。
自分の思い通りの結果にならず、自分には才能がないから仕方ないよねと考えることは、辛かったりしんどい痛みを和らげる麻酔になる一方、理想や夢を描くエネルギーを削ぎます。
ミスったりしくじったり上手くいかなかったりした後、傷つくのは痛いし怖いですけど、せっかく書くことを始めたのなら思い切り傷ついて思い切り悲しむのもアリです。「才能ないんだから仕方ない」と気持ちを無理に片づけたり整理する必要はない。
気持ちなんてそもそも目に見えないんですから、渋谷だってまだ開発してるし横浜駅だってすんごいかかってましたからね。みなとみらい、いまだに工事ガシャガシャしてます。人間の気持ちなんてそう簡単に整理できないし、それこそ小説や漫画の主人公ではないので、鮮やかに解決、気持ちの切り替えなんて出来ないです。それが人間だと思います。
小説って結局突き詰めれば娯楽です。それを読者の方が「教科書だ」「聖典だ」「お守りだ」と定義していく。制作の上で倫理や誰かが傷つかないよう、大人になって考える場面は必要ですけど、執筆中ずっと大人でいる、いい子でいる、聞き分けよくなくていい。
ほかに、才能が無いと悩む方の根幹には何があるんでしょう。「おこがましい」とか、「才能が無い」と思っていないと何となく恥ずかしい、調子乗ってるように思われるからとか?
正直、どんなに駄目でも、出来損ないでも、失敗ばかりでも、何にも上手くいかなくて下手でも、役に立たなくても、価値が無いと思っても、誰しも理想は高く、好きなだけ夢を描く権利があります。
一度やめたり挫折した夢に対してもです。一時期はこれを目指していたけど今はやめた。それもありですが、またやりたくなったらやればいいです。始めるにも再開するにも、遅いことはない。
なおかつ、最初がダメであればあるほど、成功した時、執筆人生含めてエンターテインメントになります。ビジネス的にも「ストーリーテリング」という手法で知られています。商品のエピソードを語ることで、価値を高めるみたいなことです。
「こんなに苦労したけど、やっと結果になりました」という物語は、本物です。トントン拍子に進める必要はない。今、結果が出ずとも、色々上手くいかずとも、好きなだけ理想は高く、夢を見てください。
こういうことを願って冷笑されないかな、バカにされたりしないかな、と不安になるのは、正直いつの時代もそうです。バカにする人はバカにします。冷笑する人はどんなものでも冷笑します。結果なんて関係ありません。
結果が出ない、バカにされるかも、冷笑されるかもと不安を感じるのは自由ですが、選択肢を狭める必要はありません。堂々としていて大丈夫です。
そして、堂々としていいんだーって思っても、ネットでは色んな記事があります。
「これをしたら駄目」
「今●●が危ない」
「読まれない/売れないのか」
なぜこうした記事が存在するか、発信者が投稿したかの意図を考えたことはありますか?
基本的にネットは注目を浴びれば次の投稿が優遇されやすくなります。ゆえにどうやったら注目を浴びるか計算している投稿主もいます。上記の記事は不安を煽りやすい。クリックしやすいんですよね。事実かはさておき。
大抵あてはまるものを連ねていって、バズりやすく計算した、完全に感情を廃したビジネス投稿かもしれない。落ち込む前に一度、不安を煽る記事そのものの意図について、ご一考いただければと存じます。
それに、その発信者に嫌い人間がいて、その嫌いな人に当てはまるよう感情的に設計されたものかもしれない。
だから、世にある記事・指南書で、向いてる向いてない、こういう人は才能がある、こういう人には才能が無いといった記事で、自らの視野を狭めたり、希望や期待から遠ざかったり、決めなくてよいです。
そもそも、業界情報やSNSの記事は、「あなた」を狙い弓を放って射貫くものではなく、高層ビルからホースで水を撒くことに近い。オーダーメイドではありません。無差別です。「あなた」の事情を一切知らない人間が、誰かしらに引っかかるように水をまいている。たまたま引っかかった事故です。「水が引っかかったからもうおしまいだ」は早い。
SNSを見て不安になる方が、なぜ不安になるのか。人それぞれでしょうが基礎にあるのは「今自分は大丈夫なのか」という安全確認が多いように思います。自分の現在の位置の確認。その過程で自分と誰かを比べ心を痛める方も少なくありません。
作家さんで、他の作家さん、たとえば同じ時期に始めた方とか、同日発売の方と人気、ファンレター等が届いているか比べて落ち込むみたいな記事をみたことがあります。
たとえば、比較している相手がいたとして。その作家さんの書いたもの、キャラクターと自分の書いたものやキャラクターを交換したいと思うでしょうか?ファンごとです。感想をもらったこと、レビューを貰ったことがある方の場合は、それもです。全部交換です。書いた文章にお気に入りがあれば、それごとです。
大体の人は、なにかしら手放したくないと思うものがあると思います。それが固有性や独自性であり、それが存在する時点で同じじゃないので比べようがないです。
人間が「全自動洗濯機はいいなぁ、お腹でお洋服が洗える。人間は洗濯できない」って落ち込んでたら、「なんで洗濯機と自分を比べてる?」って思いませんか?
それと同じことです。
なので才能の有無や自分の出来ないところ、怖いネットの記事にフォーカスして、理想や夢、期待、やりたいの幅を狭めないように。
自信が無くても、無理に持つ必要はないので過剰に自分を攻撃しないよう気を付けつつ、書いていくのがいいんじゃないかなーと思います。
以上、才能有無の自己定義およびそれらを加速させかねない不安利用型SNS投稿と比較社会についてのレポートでした。
まぁ中々こうした話をする機会が無いというか、普通に編集者さんとかにする話でもないし、作家さんの知り合いもいないので、この場を借りてのお話になります。
(普通にこんな話を対面でしたらバケモンでしょうしね)
お伝えしたいことは以上となります。普通に書籍化目指している方からすればなんのこっちゃい、というところでしょうが、ここまで読んだ方の苦痛が和らげば幸いです。
では。